今回は記事にしようかどうか大変迷いましたがウェブログということで、後で読み返して「あぁあのときそうだったなぁ」と故人を偲ぶことにもなると思い書き記します。
前回の記事「胃がんの父親と海外駐在員の自分」は11/5に記載をさせていただきました。
このときの内容は10/31-11/2の間に帰国をして中1日のみ実家に帰っていたときの出来事です。
中国に戻り来客だ何だと慌ただしかったのが落ち着き書きました。よく11/6の朝方のことです。会社から電話がかかってきて出てみると
「お母さんから電話かかってきてかけなおしてくださいですって」
少し嫌な予感がしました… 電話をかけるとやはりというか…
予期していた訃報です。
そこから慌てて帰国準備をして荷物を持っていったん工場へ。飛行機のチケットを会社で代理購入してもらうためです。このとき朝の9:30頃だったと思う。いつもは使えないけど緊急を要しているので、会社の車で上海浦東空港まで送ってもらえる様にお願いをしました。それでも蘇州市から2時間ほどかかります。
ということは会社に出社した時点で逆算すると12時台の飛行機は無理だということになります。次に早くて当日高松まで帰れるように大阪に到着する便を探すと15:25発 中国東方航空がありました。これをブッキングしてもらい空港へ。
飛行機は少し遅れたがほぼ定刻通りの18:30には関空に着きました。すぐ動けるように預け荷物無し、機内持ち込みだけの状態だったので早足で空港を抜ける。向かった先は高松行きのバス乗り場。関空から19:20発というのがありますので。定刻ほどに付いたのと、預け荷物がなかったのと、早足で抜けたので十分な時間を残してバスに乗り込むことが出来ました。
長くなりますので次回に続きます。
お疲れ様でした。
>長十郎様
ありがとうございます。
本日から役所関係の手続き開始です。処理することが多く初めての経験で結構疲れています。